尊厳死の記事を読んで

1999年の暮れ、正月をすごす為、奈良にある家内の実家に行ったところ、いつも笑顔で迎えてくれる周ちゃん(義弟)が2階から降りてきません。
挨拶に行くと 二三ヵ月前から 「しんどくて、起き上がれない」 とのこと
そして、市場に勤めている為、なかなか休みが取れず、医者に行くことも出来なく、
今に至ってるとのことでした。
正月明け、「初売りの為、市場に行く」という 周ちゃんを説得し、県立病院に連れて行くと、
悪性リンパ腫で、もうステージ5 との診断でした。
これからが、本人にとっても、家族にとっても、辛い日が続くことになりました。
抗がん剤治療、放射線治療、骨髄移植、造血肝細胞移植、 と そして一進一退の病状が8ヶ月続きました。
そして 最後の日 病院から 「吐血して意識がない状態に陥った」 と連絡があり家族は、あわてて病院に直行しました。
病院につくと、酸素マスクをし、意識がない状態に陥っていました。
そのときは、生命維持装置を付けているか否かは、わかりませんが、
率直な話、周ちゃんは、8ヶ月の間 病気を直して、生還する したい という気持ち一筋に苦しい過酷な治療に耐えてきましたが、精神的には もう限界でした。
その時、ここまで随分ガンバってきたから、「もう楽になってもいいんじゃないか」
と感じました。
本人の意見は、分かりません が、回りの雰囲気も そう感じ取れました。

実は、周ちゃんは将来、飲食店をやりたかったのです。
私が 貘貘をするにあたり 周ちゃんの多くの友人が力を貸してくれています。
今、私が、餃子店をしているのも、行き着くところ、周ちゃんの力を借りています。
周ちゃんの夢は、かないませんでしたが、
厨房の中で、周ちゃんの笑う写真を飾って、周ちゃんと一緒に仕事をしています。

最近の記事をよんで、周ちゃんを思い出しました。